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YOSORO連載日本を良くする「仕掛け人たち」桃を売り、柿からエキスを抽出——福島の農村に移住した元官僚が、フェムケアコスメを開発するまで
桃を売り、柿からエキスを抽出——福島の農村に移住した元官僚が、フェムケアコスメを開発するまで

桃を売り、柿からエキスを抽出——福島の農村に移住した元官僚が、フェムケアコスメを開発するまで

2024.07.02
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「明⽇ わたしは柿の⽊にのぼる」。

そんな抒情的なネーミングのフェムケアコスメブランドが今、注目を集めている。「明⽇ わたしは柿の⽊にのぼる」はデリケートゾーンのケアに使用することで、かゆみや匂い、おりものの変化といった女性特有の不調に向き合うコスメブランドだ。産前の会陰マッサージや更年期以降の女性ホルモン減少に伴う乾燥による不調など、幅広い世代から支持を得ている。

福島県国見町名産の「あんぽ柿」の生産過程で剥かれた柿の果皮から抽出した成分「カキタンニン」に、複数の植物由来成分を配合した天然由来成分100%のコスメ。泡ソープ、保湿液、オイル、ミスト、ミルクをラインナップしている。

2020年1月に販売を開始以来、徐々にユーザーを増やし、オンラインを中心としながらもリアルでの取扱店舗も200店舗を超えた。リリースから1年で伊勢丹新宿店でも取り扱われるようになっている。

ブランドを立ち上げた小林味愛(こばやし みあ)さんは、「明日 わたしは柿の木にのぼる」を、福島県の田舎町の小さな家で、たった1人で開発をはじめ、そこから多くの専門家や仲間たちの協力を得て3年かけて完成させた。どうして彼女がこの商品を作ることになったのか。その背景には小林さんの人生を賭けた物語があった。

プロフィール

プロフィール

陽と人 代表取締役 小林味愛

1987年東京都立川市生まれ。2010年慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、衆議院調査局入局、経済産業省へ出向。2014年に退職し、株式会社日本総合研究所へ入社。全国各地で地域活性化事業に携わる。2017年8月、福島県国見町にて株式会社陽と人を設立。子育てをしながら、福島県と東京都の2 拠点居住生活を送る。

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小林さんが立ち上げたフェムケアブランド「明⽇ わたしは柿の⽊にのぼる」

デリケートゾーンは、自分の心と身体を知るバロメーター

「デリケートゾーンは女性の身体の不調が一番でやすい場所。そこに症状が出るのは、ホルモンバランスが崩れて、免疫が弱っている前兆なんです。毎日、10秒でもいいからデリケートゾーンをケアしてもらえると、乾燥などの不快な症状を緩和できるだけでなく、体に起こる小さな変化に気づくようになっていきます」

商品を製造販売する、陽と人(ひとびと)のCEOであり開発者の小林さんはそう話す。女性のデリケートゾーンは健康な時には弱酸性に保たれているが、過労、ストレス、睡眠不足などによりホルモンバランスが崩れると、アルカリ性に傾く。すると雑菌が繁殖しやすくなり、さまざまな不調を引き起こしてしまう。

一般的な石鹸やボディーソープの多くはアルカリ性のため、症状を悪化させてしまう可能性もある。弱酸性の「明日 わたしは柿の木にのぼる」は、汚れを洗い流し、弱酸性を保ちつつ、乾燥を防ぐ効果が期待できるという。

2017年8月、小林さんは縁もゆかりもない福島県国見町に、たった1人で移住した。国家公務員になり永田町・霞ヶ関で5年、大手シンクタンクに3年勤めた小林さんが、キャリアの全てを捨てて移住を決めた理由は、東日本大震災から6年が経ってもいまだに“被災地”と言われ続ける福島県で、本当に人の役に立つ仕事がしたかったからだ。

社会人1年目の終わりに、東日本大震災が発生した。居ても立ってもいられずボランティアに通い、瓦礫の片付けなどを手伝ったが、同時に自分の力のなさを感じた。それが、ずっと心の奥底に残っていたという。その後シンクタンクで地方創生の仕事に携わったが、思っていたような仕事はできなかった。「今度こそ」という強い思いがあった。

自分の体験から生まれた「女性を助けたい」という思い

「風評被害に苦しんでいる人たちを助けたい」という思いから、福島県での起業を決めた。それに加えて、もう1つ「女性を助けたい」という思いも抱えていた。

2010年、慶應義塾大学を卒業した小林さんは、社会の役に立つ仕事がしたいという思いから、衆議院調査局に入局。その後、経済産業省に出向して法案作成のための業務を行う、いわゆる“タコ部屋”に入った。そこには想像以上の世界が待ち受けていた。

終電で帰れることはほとんどない。残業時間が300時間を超えることもしばしばだった。職場の同僚や上司など素晴らしい仲間に恵まれていたものの、寝ていない状況が続くと体調不良になるのは必然だった。労働時間が長くない部署に異動しても、「男性に負けられない」という無意識のプレッシャーがのしかかった。

「当時、女性活躍という言葉が使われ始めた頃で、女性の先輩も同僚も、男性と同じか、それ以上に働いていました。女性特有の身体の不調はみんな当然ありました。でも男性には言えないんですよ。負けって思われるから。フェムテックという言葉もなかった時代で、みんな昼休みにこっそり婦人科に行って、薬を飲みながら平気なふりをしてがむしゃらに働く。それが当時の女性活躍の本当の姿だったんです。“結局、どこかで辞めるしかないよね”というのが女性の口癖だったし、“もう続けられない”というのが辞める理由でした」

そこまでして自分を押し殺して、耐え抜いて働くのが、本当の女性活躍の姿なのか。家に帰れば、家事や育児もまだ女性が中心である場合が多く、自分の時間や睡眠時間を削るしかない。そういう社会を変えたい、女性のために何かをしたい──そんな思いを抱きながら、公務員を辞めた。

シンクタンクに転職したのは、より現場に近いところで社会貢献がしたいという思いからだった。小林さんは志願して、日本全国の地域活性化に取り組む仕事に就いた。しかし、その思いと現実は、遠くかけ離れていた。

「営利企業ですから、常に利益を追求されるんです。チームで地域を良くしよう、人を助けようといった思いはなく、待ち受けていたのはメンバー同士の競争でした」

地域活性化、観光振興、被災地支援といったスキームをいかに活用するか。売上や利益が求められる現実に嫌気がさしてしまった。

「大きなことはできないかもしれないけど、自分のできることを地道にやっていこう」と小林さんは決め、3年でシンクタンクを退職。福島県国見町に移住し、陽と人を起業した。

仕事で数度訪れただけの国見町を移住先に選んだのには特別な理由はなかったが、強いて言えば、“恋愛のようにビビっときた”からだった。人口約8000人。福島の桃の産地だった。あんぽ柿の発祥の地であるということは後で知ったという。知り合った人の紹介で、畑の中に建つログハウスに住むことができたのは幸いだった。

何をするかは決めていなかった、地域の困りごとを聞いて歩く

「何をするかは決めていなかったし、事業計画も何もなかったけれど、売り上げを上げるよりも、地域の人が何に困っていて何を解決できるのか。そこからスタートにしないとやる意味がないと思ったので、まずは聞くことから始めました。いろんな人に声をかけて、農作業を手伝ったり、困っていることを聞いて回ったりしていました。ペーパードライバーで車も持っていなかったので、次の家まで2時間くらい歩くこともあった。でも大体、誰かが車で乗せていってくれたり、ご飯を食べさせてくれたり、優しい人が多かったんです」

当時の国見町の農業の課題は、福島第一原発の風評被害だった。震災から6年経っても、いくら放射線が不検出であっても、福島の農産物に対する市場の評価は厳しいものだった。どれだけ美味しい桃であっても、震災以降、価格は下がったまま。価値のない規格外品は、畑に大量に廃棄されていた。

最初の事業はシンプルに考えた。JAに出荷できない規格外品の桃を農家から買い取り、自分が東京に持っていって売る。「だから桃を私に売ってください」と農家に伝えた。だが、最初はほとんど相手にされなかった。「そんな簡単なもんじゃない」。「俺たちもさんざんやろうとしたがうまくいかなかった」。そんな声ばかりが返ってきた。

そこで小林さんは「売ってくれるなら全量買い取る」ということを約束した。「コンテナに入れて軒先に置いていてくれれば取りに行って、運搬も箱詰めもこちらでやります」。そんな条件でなんとか一軒の農家さんを説得できた。約束通り、1人で畑に行き、1つ8kgもあるコンテナを何十箱も1人で車に積み込み、東京に売りに行った。

しばらくすると地域の人たちが小林さんを見る目が変わってきたという。

「だんだんなんとなく憐れみの目で見られるようになって。『なんか悪いな、ここまでやってくれるのか』みたいな。『やるよ。私若いもん』って。そうするうちに『こいつは心折れねぇらしい』って噂が広まっていって、みんなが手伝ってくれるようになっていったんです。地域でのビジネスを継続していくためには、地域の人のことを第一に考えたものではないと成り立たないと思う。地域の農家さんが、ただ高く買ってくれるという人にものを売るかというと絶対に売らない。その一歩手前に信頼関係が必要なんです」

ネット販売もスタートさせ、契約農家も増え、桃の直販事業はなんとか事業として成り立つ目処がついた。そうして桃の出荷シーズンが終わりを迎えた2017年秋。農家さんから「味愛ちゃん、次は『あんぽ柿』の季節だよ」と言われた。そこから小林さんの2つ目のチャレンジがスタートした。

桃のシーズンオフに自由研究でコスメを開発

あんぽ柿は、渋柿の皮を剥き、“硫黄燻蒸”という工程を経てから、干し柿にする。そうすることで一般の干し柿のように酸化せず、鮮やかなオレンジ色のままの干し柿になる。小林さんはこの過程で大量に出る渋柿の皮が気になった。これを加工して何か商品にできないかと考えたのだ。官僚時代に足繁く通った国会図書館へ行き、柿の論文を読んだ。

「摘果した大きくなる前の緑の柿の実に含まれているカキタンニンというポリフェノールの一種に、においケアとか毛穴の引き締め効果があることが、もう実証されていたんです。じゃあ、あんぽ柿の皮は?って思って。果物は皮と実の間に一番栄養があるというのはよく聞く話ですし、何かあるはずと思って成分分析やさまざまな実験をしていったら、結果的に皮に一番多くのタンニンが含まれていることがわかった。『だったら柿の皮から化粧品を作れるじゃん!』と思い至りました」

それから開発が始まった。本人曰く、「小学校の自由研究」のようだったという。検索サイトで関連する論文を片っ端から読んだ。専門の会社と組んで柿を煮出して、濃縮や蒸留を行ったり、エキスを抽出する。そこに他の成分を調合して、試作を繰り返した。添加物を一切入れないというのは最初から決めていた。泡立ち、色、香り、テクスチャー、使用感。ヒリヒリしたり、違和感はないか。しっとり感はどれほど持続するか。試すのは自分だった。

そうした間に初めての妊娠、出産もあった。妊娠中、⾃分ではどうしてもコントロールできないホルモンバランスの乱れや意欲の変化に戸惑い、出産後は慣れない育児の中で、出産前とは異なる⾝体に不安を覚えた。そんな自分がいちばんの試験対象になった。

開発を支援してくれる企業を見つけ、ファッションや雑貨などの開発を手がけるフェリシモが設立した「フェリシモたすけあい基金」の助成金を得て、研究所に出した成分の分析もしてもらった。

「できた」。納得いくものができた時、すでに3年が経っていた。福島を少しでも元気にしたいという思い、女性を救いたいという思い。2つの思いが一つになった瞬間だった。製造は自然派化粧品を得意とする佐賀県唐津市にあるクレコス社に委託。製造のプロセスでも障がいをもった方の得意なことをいかすことができるよう作業を細分化し、様々な人材が関わっている。そして、2020年1月、発売にこぎつけた。

ネーミングにもこだわった。

「『明⽇ わたしは柿の⽊にのぼる』という名前は、⼥性のライフスタイルそのものを表しています。働くこと、休むこと、遊ぶこと、⾷べること、暮らすこと、⽣きること、どんな時も、上を向いて意思をもって⾃分らしい選択をしていたい。そんな思いを『わたしは柿の⽊にのぼる』という⾔葉にこめました。そして、もしも頑張りすぎて⼼や⾝体を崩しそうになったら、ちょっとだけひと呼吸して、思い出してくれたら嬉しいです。今⽇じゃなくて『明⽇』でもいいんじゃないかな、と」

東京の街を歩き、コスメショップや百貨店に飛び込み営業をした。デリケートゾーン用コスメというカテゴリはなかったため、まず理解してもらうのに苦労したが、少しずつ商品を置いてもらえるようになった。いつの間にか、フェムケア、フェムテックといった文脈でメディアに取り上げられることが増え、認知度は徐々に広がっていった。

「最も多い顧客層は40代、50代の女性です。女性ホルモンが一気に減ってしまう時期なので、いろいろな体の不調が出てきてしまうんですね。発売の頃からずっと使ってくれているお客様もいます。かつての私のようにがむしゃらに働いている若い女性や、妊娠、出産をされた女性も、ホルモンバランスが崩れやすいので、幅広い方に使っていただきたいですね」

企業とのコラボレーションにも取り組んでいる。パラマウントベッド睡眠研究所と共同で、女性ホルモンと睡眠の関係性についての共同研究を始めた。農産物の直売事業、化粧品事業ともにこの数年は2倍成長を続けている。今はもう1人ではない。多くの仲間、家族、地域の人々とユーザーに支えられ、今も小林さんは新しい論文を読み続け、“自由研究”を続けている。

文・写真=嶺 竜一

編集=新國翔大

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