民間企業を経て、省庁で働く──組織の規模や環境などが大きく異なる場所で、あえてキャリアを積むという“ユニークな選択”をした人たちがいる。現在、経済産業省で働く南知果氏、デジタル庁で働く樫田光氏の2人だ。
そんな2人は省庁で働くことについて口を揃えて、こう語る。
「民間企業とは違った経験が得られる。すごく面白い環境ですよ」
南氏はスタートアップを支援する弁護士であり、ライドシェアサービス「CREW」を過去に展開していたAzitでルールメイキング・パブリックアフェアーズを担当した経験を持つ。一方の樫田氏は2016年、成長期のメルカリに参画し、データアナリストチームの責任者としてデータ分析・成長戦略の立案を手がけてきた。
なぜ、2人は民間企業で働いた後、省庁で働く道を選択したのか。実際に働き始めた際、環境の違いに戸惑いなどはなかったのか。あえて省庁で働く道を選んだ2人の覚悟から、日本をより良くするための可能性が見えてきた。
プロフィール
経済産業省大臣官房スタートアップ創出推進室総括企画調整官 南知果
2014年司法試験合格。2016年西村あさひ法律事務所入所。2018年法律事務所ZeLo参画。弁護士としての主な取扱分野は、スタートアップ支援、M&A、ファイナンス、Fintechなど。一般社団法人Public Meets Innovation 理事。著書に『ルールメイキングの戦略と実務』(商事法務、2021年)など。アメリカ留学(ペンシルベニア大学ロースクール、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員)を経て、2022年11月より現職。
デジタル庁 民間専門人材(データ分析) 樫田光
2022年より、デジタル庁 民間専門人材(データ分析)。2016-2020年、株式会社メルカリでデータ分析チームの責任者。早稲田大学理工学研究科卒業後、外資系戦略コンサルティング会社で事業戦略やオペレーション改善や市場分析などに従事した後、独学でプログラミングを学びデータサイエンティストに転身。データを使ったサービス改善からプロダクト分析、事業戦略立案などを行っている。
民間企業出身者が省庁で働くことを選んだ理由
──南さんはAzit、樫田さんはメルカリ。お二人とも民間企業を経て、それぞれデジタル庁に入庁、経済産業省に入省しています。
南:私は弁護士として、スタートアップが事業を立ち上げる際のルールメイキング・パブリックアフェアーズ(既存の法律や規制を変えるための活動)の支援に携わってきました。過去にはAzitがライドシェアサービス「CREW(クルー)」を展開していた際、ルールメイキング・パブリックアフェアーズを担当しました。
その後、ペンシルベニア大学のロースクールに留学し、現地で日本がスタートアップ政策に力を入れていくというニュースを目にしたんです。
最初は外側から何か政策に関われる機会を見つけられたらいいなというくらいで、中に入って何かすることは考えてもいませんでした。ただ、経済産業省に大臣官房スタートアップ創出推進室ができ、そこの管理職ポストを公募することを耳にしたとき「それは私がやらなければいけない」と思ったんです。
弁護士という仕事柄、省庁の人と仕事で関わる機会は多かったので仕事の大変さは理解できていました。そんな経験があったことも応募するきっかけになりましたし、外から関わるくらいなら、絶対に中で関わった方がいいという思いが強くありました。
樫田:南さんは経済産業省への入省理由を「私がやらなければいけないという使命感を勝手に感じていた」と仰っていたのですが、実は自分も近い想いを持っていました。当初、デジタル庁が募集していたポジションを初めて見たときは、その仕事の大変さや意義を明確に理解できていたわけではありませんでした。
それでもデジタル庁に興味を持ったのは、「勿体ない」と感じたからです。デジタル庁が公表している資料を読み込んだ際、まず最初に「正直、何をしているのかが分かりづらい」と感じました。新しいことをやろうとしているし、取り組みの成果も一定出ていたけれど、それが全然伝わっていない。その状況がとても勿体ないと思ったんです。
自分はデータを分かりやすく見せたり、資料を作ったりするのが得意なので、デジタル庁の取り組みをスムーズに伝えられる。むしろ、そこは民間企業の人が得意な領域でもあるので、明確にバリューを発揮できるのではないかと思いました。そういった背景から、デジタル庁が募集していたポジションに興味を持つようになりました。
デジタル庁の本気度も入庁への気持ちを後押ししました。自分が選考のスピード感について要望を伝えたところ、2週間くらいでスピーディーに対応してくれたんです。
そのやり取りを通じて、デジタル庁は軽い気持ちで民間企業の人を入れようとしているわけではなく、本気なんだな、と熱量の高さを感じました。何より、行政は本気で変わろうとしているんだと知りました。そうしたことが入庁のきっかけとなっています。
情報は不透明。構造を理解すれば、突破できる部分はたくさんある
──実際に省庁で働いてみて、最もギャップに感じた部分はどこでしょうか。
南:情報の伝わり方が「伝言ゲーム」だなと思いました。省内の関係者を巻き込んでオープンに伝えるのではなく、「◯◯さんが××と言っている」と伝言ゲームのように情報が伝わってくるので、途中で内容が変わっているのではないかと思うこともあります。
一次情報を持っている人に直接話を聞きに行きたいですけど、そこは立場が異なったり忙しかったりしてなかなか難しい。それに加えて、意思決定者が複数人いるので、全体の合意を取ることも大変だったりします。省内でもいろんな立場の人がいて、その人たちを巻き込まなければ物事が進まないので、プロセスの多さには衝撃を覚えました。
樫田:南さんと似ているのですが、情報の不透明さには少し驚きました。部署の外に情報を出そうとしない傾向がどうしても強いので、情報を集めて全体像を知るのにとても手間がかかります。また、情報を引用・転用する際はきちんと確認を取り調整をしなければなりません。いろんな人や部署が関わる分、そのための調整は想像以上に大変なことだなと感じています。
ただ、入庁前に想像していたよりもポジティブなことが多いです。例えば、先ほど情報が不透明であると言いましたが、一方で独自の情報経路が構成されていて、行政官同士のネットワークはすごいなと感じます。そのため、今まで霞が関では実現が難しかったものを突破した事例など、良い情報は広まるのがすごく早いんです。
いつの間にか別の省庁の人たちも知っていて、「こういうことができるんですね」「こういう取り組みをやったと聞いたのですが、どうやったらできますか?」という話がけっこう来ます。正しいことを正しくやり、その情報を適切な人に渡せば、良い事例、良い情報として早く広まる。その伝播力は高いんだと感じました。これはポジティブサプライズでした。
南:経済産業省内の一部の有志で「出向者コミュニティ」を作り、そのなかで「こういう風に組織を変えるべき」「ここを変えたらもっと良くなる」と話し合っている人たちもいます。有志で集まり、未来を良くするためのアクティブな行動は賞賛されるので、そういったカルチャーがあるのは良いなと思う部分です。
「経済産業省を変えていく」という視点は、中の人たちだけではなかなか難しいところが多いです。だからこそ、私たちのような民間企業出身者が別の視点を持ち込むことが有効になる。つまり、あわせ技が大事なんです。民間企業出身者たちの声は引き出しつつ、中へ広げる際は省庁のプロパーの人がいた方がスムーズに物事が進んで行く。そこがうまく交われば、インパクトのある取り組みができるようになるはずです。そのためにも、両者のコミュニケーションの機会を創出していきたいですね。
樫田:省庁で仕事をするにあたって、組織の論理をきちんと理解しておくことも重要です。先ほど話した、情報が不透明であるという話も、その裏側には省庁なりの理由があります。
具体的には、ステークホルダーが全国民のため、仮にネガティブな情報が変な形で表に出てしまったら、与えるダメージが大きすぎますよね。そのため、情報統制に強く気を配っているという構造が強く出ているわけです。霞が関の仕事の仕方がダメという話ではなく、省庁の中では合理的な判断としてそうなっているわけです。そこを理解した上で、省庁内の何を刷新していいのかを見極めた上で、前例や古い文化を壊していくことが重要なんです。
何か新しいことをするのが大変なことは、全員が分かっている。だからこそ、逆に誰かが何かを壊して新しいものを作ったという事例があれば、それに乗っかる人はたくさんいる。良い情報が伝わりやすいというのも、そうした構造的な理由があるんです。
短期間と長期間、両者のバランスを取っていくことが大事
──民間企業のプロダクト開発などと比べると、省庁でひとつの仕事を終えるサイクルは長いような気がします。どのようにモチベーションを保っているのでしょうか?
樫田:おっしゃる通り、仕事のサイクルの早さは一定重要です。そうした中で、データの可視化など、自分の仕事の分野は割とスピーディにできている方かなと思っています。
しかしながら、政策や法律を変えるような大きな話は、スタートアップが得意としているアジャイルな考え方とは相性が良くない。
政策に対しては「とりあえずやってみてダメだったら、改善していく」というアジャイル開発のような考え方は通じない。だから、ある程度の時間をかけることになる。その様子が、国民からすると時間がかかって何も動いていないように見えてしまうもどかしさがあると思います。
一方で、データ分析・可視化は政策や法律と比べると比較的短いサイクルで動かすことができます。何かの政策を数値化し、それをダッシュボードに掲載するのは庁内での調整も含めて、3カ月くらいの時間があれば実現可能です。そのくらいのスパンでアウトプットを出していき、国民の人にはデジタル庁が何かをやっているように見せていく。わかりやすいアウトプットを先行的に出していき、その裏でもっと重い政策や大きなシステムの改善などを何年もかけてやっていくバランスはとても大事だと思っています。
スピーディに改善できる部分を担えるのは、自分たちの仕事ならではの良いところで、庁全体をチームとして見たときに分かりやすい改善の部分を担うことで、もっと重たいことやっている人たちをサポートできる。そこは普段仕事をする際のモチベーションになっています。あと、単純に面白いですよね
南:すごく分かります。大変なことも多いですけど、毎日が本当に面白いです。省庁で働くからこそ見える景色は新鮮だし、民間企業とは違った経験が得られます。
樫田さんの仕事と比べると、法改正などは時間がかかるものです。とはいえ、税制など毎年改正が行われているものもあります。外から見ると、1年という時間は長く感じるかもしれませんが、現場視点ではすごく短いスパンで変わっている。今後も必要であれば、短いスパンで改正すべきものは改正できるよう頑張っていこうとしているところです。
幸い、私の周りにはスタートアップ関係者が多く、日々良質な情報をインプットしてくださるので、それをきちんと制度の改正まで結びつけることが私の使命だと思っています。
何かを変えることができる省庁という立場にいるだけで、いろんな人たちが協力してくれるのはありがたいです。みなさんが期待しているよりも時間はかかってしまうかもしれませんが、それでも今は国としてスタートアップ支援政策に力を入れていることで法律や制度なども変わりやすい機運にある。ですから、現場で何か困ったことや課題に感じたことがあれば、どんどん声を挙げていってもらえたらと思います。
箱を変えていけば、その中の“当たり前”が変わっていく
──最後に、お二人が考える「日本をより良くするための考え」があれば教えてください。
南:何事も「人次第」だなと感じます。そういう意味では、いろんな人が省庁に入ってくればいいなと思っていますね。官僚の友達に「『うちの組織はここが問題だから変えた方がよくない?』という話はしないの?」と聞いたら、新卒から今の組織にいるので何が問題なのか分からないと言っていたんです。
長い間同じ組織にいるからこそ、プロパーの人はなかなか課題に気づきにくいところがある。そう考えると、もっと人の異動があったり、それこそ民間企業の人が省庁に入ったりしてくれば変えていける部分はたくさんあるはずです。私のようなキャリアの人も含めて、もっといろんな人たちが省庁へ入り、いろんなものを変えていけたらいいなと思います。
樫田:人間は自分の周囲の環境という“箱”に適応する生き物です。それこそが人間の持ってる資質であり希望だと思っています。その箱を変えることが、日本をより良くするには大事です。それこそ、入庁前は組織のしがらみや前例踏襲の文化でがんじがらめかと思っていたのですが、実際に働く中で変えようと思えば変えられる部分は、意外とたくさんあることがわかりました。
例えば自分が関わった、マイナンバー政策に関するデータをリアルタイムに近い形で公開する「政策データダッシュボード(ベータ版)」のプロジェクトも少しながら箱が変わった事例のひとつだと思っています。最初に提案をしたときには庁内ではややネガティブな反応をされることが多かったです。
これまでデータをわかりやすい形で公開していく、ということ自体が当たり前ではありませんでしたから。ですが、実際に公開してしばらく経った今では庁内でも「他にこういうデータなどは公開しないの?」「このデータは公開しないの?」という声を聞くようになりました。
行政という組織内で働いている人たちの頭の中にある「何が当たり前で、何が当たり前じゃないのか」の概念が変わったのを感じました。こうやって、少しずつ箱の中にいる人たちの当たり前は変わっていくはずです。それが結果的に箱自体の形を少し変えることに繋がる。
政府の人たちはみんな、日本という「箱」を良くするために変革したいと考えている。けれど、自分たちが所属する組織という「箱」に対しては無頓着になりがちです。だからこそ、自分のような民間企業発の人材がやってきて、民間流の働き方やデータやデザインの使い方など新しい提案をしていく。そうすると、何とかした方がいいと思っている省内の若手などは「いいぞ、やれやれ」と言ってくれたりするんです。
箱の形を変えられれば、その中にいる人間は何者にでもなれると思うんですよ。そういった変化に対しても人は適応していける。そういう意味ではまだまだ日本を良くしていける余地はたくさんあると思いますし、むしろ希望しかないと感じているところです。
文=新國翔大
編集=福岡夏樹
写真=小田駿一